83歳になって、俳句なるものを始めた。これまでにも、ちょっとやろうかなと思ったことがない訳ではない。中学3年のときの俳句「三日月や おぼろ月に似て 春近し」。25年くらい前、阿波踊りの見物に行ったとき「ぞうめきを 団扇にのせて 風送る」。20年くらい前ピサへ行ったとき「ピサの斜塔 今度来たときも 立っているかな?」。実は、往きの飛行機のなかで俳句の本を読んだ。「けり」「かな」で終わるのが良いと書いてあった。真面目でないのである。
すこし、気持ちを入れ替えてやることにした。認知症の予防の積りでもある。なんにも知らずに、朝日カルチャーの俳句のクラスに入った。別々の先生で、月2回の句会がある。同じころ、居住地のコミュニティの句会にもでることにした。結果的に、月3回の句会である。朝日カルチャーのクラスでは、それぞれ2題の兼題(決められた宿題みたいもの)と1題の自由題で作句する必要がある。コミュニティの方は、自由題5題である。
“俳句って、17字でしょ”しか知らなかった。だんだん様子が分ってきた。
朝日カルチャーの方は、実は、伝統俳句のクラスだった。花鳥諷詠・定型的だった。「炭俵」「熊手掃き」が兼題にでた。本当は、もっと自由にやりたかったのにー。。。主題も、字数も勝手にやりたかったのにー。。。最近亡くなった金子兜太さんがその方面で活躍されていたことも、亡くなった後で知った。
でも、伝統俳句をやることにした。やはり、基本になるだろうと考えたからである。句会では、各人が投句する。出席者が自分のお気に入りを選句する。より多くの推薦を得た句が発表される。モーチベションにもなるが、コンチキショウでもある。人前で、良い気持ちになるには、ときには、自分を殺さなければならないのである。
いいことを言ってくれた人がいた。自分の詠みたい句と句会に出す句は違うのです。成る程、でもやっぱり詠みたい句も人前に出したいなー。